白井晟一を意識するようになったのは3、4年ほど前、お付き合いさせていただいているアパレルデザイナーの方に作品集を見せていただいてから。飯倉のあたりを車で通りかかるたびメガロフォビア(とはいえ私の場合は“厭よ厭よも好きのうち”)を直撃してくるNOAビルも松濤美術館も彼の作品と知り、たちまちに惹かれたのだけれど、それも「亜門茶廊」という下地があったからと思えば納得のいく話。子供の頃に見聞きしたものは後々まで影響してくる。