虫の鳴き声で毎朝目が覚める。(この蝉が止んだら、)寝床から出た。重いまぶたで魔法瓶の中の冷たい水をのみ、緑色のセロファンを剥いて溶けかけのハッカ飴をひと粒舐め、身仕度をした。荷物はもう昨日の夜にまとめてある。玄関で靴を履いていると母が台所からやってきて、門のところで見送ってくれた。歩道の端に立って待っていても、早朝なのでタクシーはなかなか流れてこない。そのうち空港方面行きのバスが見えたので、慌てて道なりにバス停まで走り、乗込んだ。席に着き、母に挨拶をしそびれたので携帯から電話した。「バスが来たから乗っちゃったよ。今もう愛宕神社のあたり」。
その後私は空港で、Yさんと落ち合い、手荷物検査のときにべっ甲の眼鏡を没収されたせいで揉めて飛行機に乗り遅れ、中の喫茶店でパンケーキを食べて振り替えのフライトまでの時間を潰した。Yさんは無事予定通りの便に乗った。パンケーキは薄べったく小判の4枚重ねで見かけによらず、大振りのピッチャーに給されたメープルシロップもどきをよく吸い上げる。ウェイターの目が配られにくい席なのをいいことに、私はシロップを全部掛けようとしたが途中で、さすがにそれはどうかな、と器の底から7mmほどの分量を残した。ここは美味しいパンケーキで知られた店なので、それなりに期待して臨んだのだが、確かに良い味ではあれども「パンケーキはパンケーキだ」という感慨が勝る。こういう粉もの、それも鉄板状のもので焼くもの(これとお好み焼きぐらいしか思いつかないが)は、親しい人が焼いてくれたものであることが、自分にとっては欠かすことのできない美味の要素なのだと気付く。視力の弱い母が作るパンケーキには、よく卵の殻が混じっていて、幼い私は吐き出してばかりいたが、それでもあれが不味いとは言い切れない。