もしも好みが同じなら

最近私の知るウェブサイトのいくつかではモーニング娘。(以下“モーニング娘”)にまつわる恐らくは議論のようなものが繰り広げられていて、その様子をときどきかいつまんで見ていただけなので全貌は残念ながらよく分らないのだけれど、とにかく個人サイトで意見を発する人たちの間ではモーニング娘は未だにすごく注目を集めている存在だと言うことが良く分る動きだとおもいました。私はこの話について自身の意見を述べられるほどには論点とされている部分を理解できていないのですが(でも目にした箇所は興味深く読みました)モーニング娘との個人的な接点(といっても単なる一視聴者としてのものです)についてなんとなく思い出したりしたので書き留めておこうと思います。普段から割合に女性アイドル好きの私にとっては、ASAYANの女性ロック歌手オーディション企画初期の頃からなんとなくモーニング娘に馴染んでいたということもあって本来ならばアイドルとしてそれなりに好きになる確立も高かったはずなのですけれど、プロデューサーの異性の好みを反映したメンバーらのとても良く似た顔だちが揃う様を眺めると、その数が増えつつ間引かれたり?しつつして特徴が際立てば際立つほど、私の女性の好みとかけ離れていることを強く認識させられてしまい、勿論見ている分にはその幼女的な媚態から発せられるかわいらしさなどもそれなりには分かったのですが、結局のところは「つんくと顔の好みが同じ人は幸せだな」という見方に落ち着いてしまい、夢中になれる部分を見出せないまま、存在に対して少しの淋しさを抱きつつ今日に至るというわけなのです。だからモーニング娘のファンとして、それがどんな形にしろ楽しめている人たちの姿を見ると少しうらやましい。まさかあの女の子たちのルックスを否定してまでファンでいる人なんてまず存在しないだろうし。でも今回の議論の中で言語化された情報がきっかけでファンになっていった人がけっこういるという事実を知ったことは、彼女たちの結成当時をリアルでこれといった先入観や意味付けもなく見ていた自分にとっては特に驚きで、モーニング娘を取り巻く状況は単純ではないのだなぁと実感した次第です。彼女たちの可愛らしさを初期衝動に、ファンとしてのスタートをきった人たちばかりがいるのではないのですものね。