東京流行生活展

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/2003/ki_9-13.htm
行ってまいりました最終日な行動パターンいいかげんに改めたいところですが。入場したとたんも・お客さんいっぱいで見てまわるのに難儀しましたけれど、銘仙の展示を人の波に流されながら見ていると、自分のすぐうしろで喋っているおばあさん二人組が「若い頃よく着たやつよ」「私、上に姉妹がたくさんいたもんだから(おさがりで)私にまわってきた着物はすぐ膝が抜けてねー」「銘仙はそうよね」なんてリアルフィッターだった方々の会話も聞けて楽しかったです。
70年代の花柄家電、これの画像はイラストと写真の二種類があったんですね。実家にあったのは写真を使用したタイプで、しかもそのモティーフとなっているのは棘のエッジも塩ビの日和見な質感のつるばらの造花で、誰がどんな状況でこの写真を、とつたない想像を巡らすも当然答は出てこない、冷たく白い背景に贋ものの花が蔦を伸ばしているその様は、幼心に理解出来ないセンスの象徴として記憶の片隅に君臨しており、後にマネキン少年写真で有名なベルナール・フォコンの写真集*1をこっそり本棚に隠し持つティーンに成長してしまったのは(お恥ずかしながら)、もしかしたらこの花柄家電の影響であったかも知れません、って本当にそうかー? 造花=マネキン、この生を象る予め死せる存在を私達の目の前に提示するときに、写真という生である瞬間を切り取る装置によって見せるということは、転じて存在に生命が永久的なものとして与えられたということであるとか言いたいわけですかすみません。会場に展示されているうちのひとつ、象印のポットにプリントされた花々は勅使河原流で生けられた(他にも草月、池坊など)見目よい生花で、同じ花柄家電でもこのように美的に優れたものだったなら後々まであれこれ邪念をこねくりまわすこともなかったのかも知れないです。
あ、あと今和次郎のフールドスケッチの元になった路上調査のカードが、当時の和装のアイテムがこまごま描かれていて面白かった。

*1:『飛ぶ紙』。帯の言葉は安部公房ロラン・バルトISBN:4891941286